【市川猿之助の学歴】慶應義塾大学は家から近かったから

市川猿之助の学歴

澤瀉屋の家系に生まれ、歌舞伎役者として名を馳せている市川猿之助さん。伯父の三代目市川猿之助の名跡を継ぎ、2012年6月に四代目市川猿之助を襲名しました。

『義経千本桜』『四の切』など古典芸能の中にもアクロバティックな動きをとりいれる名人芸で観客を沸かせています。

また、三代目市川猿之助が作り上げたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』を受け継ぎ、自身でも上演。さらに漫画をモチーフにしたスーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』を創出して幅広い年齢層から支持されています。

最近ではテレビドラマ『半沢直樹』にも出演し、活躍の場を広げています。

今回は、そんな市川猿之助さんの学歴についてまとめてみました。

小学校から名門で

猿之助さんは1975年11月26日に四代目市川段四郎の長男として生まれました。楽屋が遊び場だったり4歳で初舞台を踏むなど、歌舞伎役者としての英才教育を受けてきたといえます。

11歳のときに出演した『連獅子』では踊りがピカ一だと高評価を受け、早くも歌舞伎の道を進むことを決意したようです。

歌舞伎一筋に見える猿之助さんですが、学業もおろそかにはしていません。その学歴はとても華やかで高い学力を持っていることが分かります。

小学校から私立暁星学園(東京・千代田区)に進学し、高校まで暁星で学んでいます。

暁星小学校

参考:暁星小学校

暁星は小学校受験でも難関校の1つで、中学受験の偏差値も56(四ツ谷大塚の80%偏差値)と難関校であることが分かります。

大学は「家から近いから」

歌舞伎役者として舞台稽古や出演も続けながら、学校の勉強も粛々とこなしていたようです。

そして大学受験では一般入試ではなくAO入試を受けて慶應義塾大学の文学部に進学しました。

親族に慶應出身者が多いことと、慶應の三田キャンパスが家から近いことが受験の理由だと言われています。

ですが、慶應大の文学部は私立最高峰なので「近所だから」という理由で簡単に受験したり進学できる学校ではありません。そもそもふだんの生活の中で学校に行けなかったり勉強時間がとれないことも多い中で最難関大学に合格したのですから、猿之助さんの学力の高さは人並み外れたものだといえるでしょう。

慶應義塾大では3年次から専門が分かれますが、猿之助さんは国文学を専攻しています。

早くから進む道を決め、歌舞伎役者として収入も得ていたので、高校卒業後の進路も進学先も自分で決めました。

最近は大学の入学式や卒業式に保護者がくるケースが増えています。でも猿之助さんは名門・慶應義塾大に合格したにも関わらず、入学式には親は参列しませんでした。

また、学費もすべて自分で払っていたそうです。

市川猿之助

「自分で学費を払っているから、一コマの授業にいくら授業料を払っているか考えてみたら、もったいなくてさぼれなかった」と話しています。

そんな理由も手伝ってか、大学時代は歌舞伎のお稽古や出演は少し控えて、学業に力を入れていました。

成績はオールA(当時の最高評価)に近いほど優秀だったそうです。

また1年次は自分の興味関心とは違う一般教養科目も幅広く受講して視野を広げていました。

さらに院への進学も勧められましたが、断って歌舞伎の道に進みます。

それほど勉強していても「もっと勉強しておけばよかった」と話すほど勉強熱心なのです。

猿之助さんは慶應大の卒業生インタビューの中で、「慶應大学の卒業生の強いネットワークは人生の中でとても価値があり、友人関係も一生のものになった」と話しています。

また、四代目襲名時には暁星中高時代の同級生が、襲名を祝うパーティを開いてくれたそうです。

ふたりを励ます会

ちなみにいとこの香川照之さんも暁星中高を卒業しており(猿之助さんの10年前)、「ふたりを励ます会」という名称のパーティだったそうです。

学歴という誉れを手にしただけでなく、中学・高校・大学の友人との絆が卒業後もずっと続いているのは素晴らしいことですね。

今回も最後までご覧いただき有難うございました。

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