【プロフィール】小池百合子ってどんな人?結婚-旦那-子供-経歴まとめ

小池百合子の今まで

男女雇用機会均等法が施行され、最近では様々な場面で女性が活躍してます。

そんな中、活躍中の話題の女性と言えば小池百合子東京都知事を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?

小池百合子さんは初の女性防衛大臣に任命され、初の女性自民党三役入りとして話題になりました

その後はご存知の通り、初の女性都知事としても話題になりましたね。

今回はそんな小池百合子さんのプロフィールや経歴などまとめてみました。

 

小池百合子の経歴まとめ

小池百合子

小池百合子

プロフィール

生年月日:1952年7月15日

身長:153㎝

血液型:A型

出生地:兵庫県芦屋市

出身校:関西学院大学社会学部中退・カイロ大学文学部社会学科卒業

前職:ニュースキャスター・アラビア語通訳

所属政党:日本新党→新進党→自由党→保守党→保守クラブ→自由民主党(細田派→無派閥)→都民ファーストの会→希望の党

兵庫県芦屋市出身の貿易商を営む裕福な家庭に生まれた小池さんは、高校生時代はテニス部やソフトボール部に所属。

卒業後は関西学院大学社会学部に入学。

この頃家族は父親の仕事の都合により東京都六本木に引っ越す。

1970年に「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」との記事を見たのがきっかけで、アラビア語の通訳を目指してエジプトに留学。

卒業後帰国した小池さんは、コーディネーター兼インタビュアーとして活躍。

 

当時から行動力があった

エジプトに留学したのも19歳の時だったと、当時からとても行動力があった小池さん。

この頃小池さんの行動力には驚いたエピソードがある。

小池さんと言えば”トルコ風呂”を連想される方もいるとおもいまが、当時現在のソープランドがトルコ風呂と呼ばれてました。

これをトルコ人学生が抗議し名称が変更したのだが、その活動に小池さんが大きく関わってたそうです。

小池さんはトルコ人学生の国家の尊厳を守る大義に共感し、当時厚生大臣だった渡部恒三さんに「トルコ風呂の名称はやめてくれ」と直談判。

その結果今ではその名称が使われなくなったという。

1979年からはアシスタントキャスターを勤め、その後テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』では初代メインキャスターも勤めた。

小池百合子

小池さんはこのキャスター時代が政治や経済を深く知るきっかけになったのではと推測されます。

結婚は?子供は?

度々小池さんの結婚歴などが話題になりますが、実は一度結婚されてるようです。

エジプト留学時代に同じ留学生だった一般の日本人男性と結婚したようですが、その後離婚。

子供もできる事もなく結婚生活はあまり長く続かなかったようです。

離婚理由は?

結婚生活は1年も持たなかったそうです。

詳しい事情はお二人にしかわからないとおもいますが、後にわかった離婚理由は、

結婚相手の男性が、サウジアラビアで就職が決まったときに、「一緒に来てくれ」という誘いを受けたのですが、それを小池百合子さんは断りました。

だそうです。

当時から自分の道を信じてる小池さんらしい離婚理由とも言えますね。

だが、もしこの時子供がデきてたら道は大きく変わっていたのかも知れません。

小池さんは都知事になり当時を振り返って結婚や子供の事に言及した事がありました。

女性の生き方について体験や人生観を交えて語ったトークイベントにて、結婚・子供について、

小池百合子トークショー

「(人生の)途中で結婚したが、仕事が面白くてさっさと別れた。でも、子どもが欲しい時期はあった。その部分は、今になって後悔する」

と、小池さんらしいコメント。

仕事ができる強い女性なら経済力があるので、旦那はいらないが子供は欲しいという方もいるとおもいます。

まさに小池さんはそんなキャリアウーマンを地で行く女性でしょう。

ちなみに「今後結婚の予定は?」の質問に、

「ないですね。今、なす事はたくさんある。優先順位が違うということでしょうか」

と、きっぱり否定してました。

そして政界入り(経歴時系列)

キャスターを降板した小池さんは、当時細川護熙氏が結党した日本新党にて比例区から出馬して初当選。

1993年、第40回衆議院議員総選挙にて旧兵庫2区から出馬し当選。

この時、総務政務次官に就任したが、内閣は1年足らずで崩壊。

1994年、新進党結党に参加する。

1996年、第41回衆議院議員総選挙では兵庫6区から出馬し再選。

新進党では後に党首となった小沢一郎氏の側近として活動。

新進党が解党した後は小沢氏率いる自由党に参加。

1999年、小渕内閣改造で経済企画政務次官に就任。

2000年、小沢氏と決別し自由民主等に入党。

2003年、小泉内閣改造で環境大臣として入閣。

同年の第43回衆議院議員総選挙でも当選。

さらなる内閣改造にて内閣府特命担当大臣も兼任。

2005年の郵政選挙と言われた第44回衆議院議員総選挙では同じ選挙区のライバルの当選を阻止するため刺客として挑んだが、大差で当選を果たす。

この頃から始まった”クールビズ”も小池さんが一役買ったそうです。

2006年、安倍内閣では内閣総理大臣補佐官として入閣。

翌年2007年には前任の辞任後、防衛大臣に任命される。

だが、イージス艦機密情報漏洩事件について責任を取る意味合いで、内閣改造時に離任した。

2008年、女性初の自由民主党総裁選に立候補したが3位に終わり、女性初の総理大臣は誕生しなかった。

その年の総裁・麻生太郎氏が退任し、次の谷垣禎一氏が総裁時代に広報本部長を務める。

2010年、自由民主党結党以来初の女性三役となる総務会長に就任。

2012年、総務会長退任後第46回衆議院議員総選挙で当選し広報本部長に就任。

2014年、第47回衆議院議員総選挙当選し、計8選。

女性初の東京都知事へと

2016年、当時都知事だった舛添要一氏の辞任に伴い立候補する。

2位以下に大差を付けて女性初の東京都知事が誕生。

知事就任後は豊洲移転問題や2020年の東京オリンピック予算問題など様々な問題に積極的に取り組んでいる。

その後、小池さんを支持する政治団体として地域政党『都民ファーストの会』が発足。

2017年の都議会選で小池さんの系統は圧勝し、自民党が歴史的惨敗したのはまだ記憶に新しい。

小池百合子の『都民ファースト』とは?

大臣を3つも歴任した経歴がある経験豊富な小池さん。

そんな小池さんが知事就任直後に「都民ファースト」とコメントし話題になりました。

東京都知事選で初当選した小池百合子氏(64)が2日午前、初登庁し、戦後9人目で女性として初めての都知事に就任した。

都政改革を訴えて291万票を集めた小池氏は、職員への訓示で「まず都政の透明化、情報公開で都政への信頼を回復したい。なによりも都民ファーストに徹していただきたい」と述べた。

都民を第一に考えるという小池さんらしいセンスのいい表現ですね。

それと同時に都政の不透明さも改善して行くと掲げ、政治資金の流れや税収の使い道などをちゃんと公表し、都民の信頼回復を目指すとの事です。

確かに前都知事舛添要一さんの時は政治資金の使い道があまりにも”雑”で、私利私欲を肥やしていたとしか言いようがない釈明会見は見るに絶えなかった。

そして自民党優位の都議会の体質にも疑問を投げかけた、自ら暴露し正して行く姿は都民から共感を得た。

このように自ら掲げた都民ファーストを有言実行する事により、少しずつ信頼回復していってる。

希望の党を発足したが…

そして自身が代表を務める希望の党を発足したが、この希望の党発足から暗雲が立ち込める。

衆議院議員選挙の際には当時の民進党との合流を決断したが”全員を受け入れる気は無い”との考えから「リベラル派排除します」と発言。

この発言が反発を招き、当時民進党だった枝野幸男氏が新たに『立憲民主党』を立ち上げる。

参考:立憲民主党誕生のきっかけは小池百合子の一言だった!

その結果、与党の自民党にも惨敗し野党第一党はくしくも立憲民主党に取られてしまいました。

この結果を受け、代表を辞任し国政から距離を置く事となってしまいました。

『小池百合子の経歴やプロフィールまとめ』・最後に

女性初となる東京都知事・小池百合子。

今回はそんな小池さんのプロフィールや経歴をまとめてみました。

経歴を辿って行くとしっかりとした理念があり、今までの都知事とは根本的な考え方が違うようです。

この人なら東京のみじゃなく日本も良くしていけそうな雰囲気すら感じさせてくれました…が、国政進出はちょっと早かったようですね。

最近は人気が落ち以前のような勢いは感じられなくなってしまったのが正直なとこでしょう。

今後挽回できるといいですね。

今回も最後までお読みになり有難うございました。

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